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ホーム | 雑記トップ | オンライン学会の感想(2020年12月9日初版公開)

2020年11月14日から16日にかけて、個体群生態学会のオンライン大会(eDNA PopEco Meeting 2020)に出たので感想を書いておこう。

大会運営・特にシステム設計を担当された方々においては、当方の無遠慮な批判により相当に気分を害されることになるかと思う。2020年という特殊な状況下にあって、突如発生したオンライン学会の運営というタスクに敢然と立ち向かい、骨身を惜しまず働かれた皆さまには最大の賛辞をお送りしたい。噂によると他学会ではアップロード・閲覧すら満足に出来ないレベルのシステムもあると聞く。少なくとも建設的批判の土台になりうる時点で、eDNA PopEco Meeting 2020 のサイトは大分良い部類だと思う。その上で、先駆者たちの体験に一般参加者からのフィードバックを加えた知見が、然るべき形で学術界・ひいてはインターネット界隈に広く共有され、オンラインイベントの洗練と普及が進むことを願ってやまない。

なお本稿の初版は 2020 年 12 月 9 日に公開された。以下、加筆部分については冒頭に(日付)が付いたパラグラフという形で書き込む。

総論

各所で既に議論されているように、オンラインの利点や欠点は多々ある。最大の欠点はもちろん、対面コミュニケーションではないことで、ゆえに知らない人に話しかけづらかったり、発表の(特にプレナリーでない場合)フィードバックを得られないことだ。

学会は単純に研究成果を発表する場所ではなく、研究コミュニティの維持や新陳代謝を促し、人材の流動性を担保するプラットフォームでもある。私の観測範囲でも、学会で偶々話しかけた相手の研究室へ進学・就職した、共同研究に発展したという人は、数人は下らない。たまたま進学・就職のタイミングがパンデミックに当たってしまい、出会いの機会を奪われた方々への救済措置の一環としても、我々はオンライン学会を出会いの場たらしめるべく、改善に取り組まねばならない。

また各分野の学会大会に出掛けていって公演会場やポスター発表を覗くことには、自身のこれまでの研究内容から少し外れた分野の最新成果に触れ、何らかのヒントや糸口を見出す、あるいはそこまで直接的でなくても耳学問で知識の土台を作っておく、といった意義がある。

オンラインでもある程度、ポスター一覧を斜め読みする等の方法で耳学問は可能である。だが後述する通り、オンラインポスターの作成者の立場から発表のインパクトを最大化しようと試みると、一覧ページでは結論やそれに直結する図表のみを、端的に掲載するのが最適解となる。対象生物に関する薀蓄を切り詰めつつ、研究の背景、手法やデータの詳細については既報の論文やウェブサイト、プレプリントにリンクを貼って済ませ、ポスター本体をシンプルにしてバックヤードで説明するスタイルに収斂してしまう。客にしてみれば、見るべきポスターの取捨選択が一瞬でできて楽でもあるのだが、興味が薄い分野(当然リンクを詳細には辿らない)では逆に、一瞥して得られる情報量は対面のポスター会場に劣ってしまい、学習上の効果は低い。

そして物理的に現地へ出かけていって対面で大会に参加する体験は、参加者にある種の祝祭感や没入感をもたらす。普段他人の研究結果をライブで聞く機会の少ない、地方や在野の研究者にとって、祝祭感や没入感こそが、次の1年間も最先端の研究に喰らい付いていくんだという決意の源泉となる。いわゆる「”田舎”で生き延びる方法」である。出身研究室で順調にキャリアアップしてきたような、トップ層の研究者には軽視されているが、地方を渡り歩く中堅レベルの研究者を戦力化するには、この手のモチベーション維持手段が欠かせない(地方PI=中央の二番煎じとなるか、小規模でも最先端のラボとして運営できるかの違い)。オンライン大会の場合フィジカルを完全再現することは(フルダイブ VR が普及しない限り)明らかに無理っぽいから、単にオンサイトの行事を模倣するのではなく、別種のイベントと割り切って没入感を演出する必要がある。桜野くりむが云うところの「メディアの違いを理解せよ!」である。

UX

フロントエンド設計に話を絞ると、オンライン学会の運営者が守るべき最大の肝は、 1) 参加者が迷わないような案内の動線を作る、2) 全ての参加者に、自分あるいは特定の参加者カテゴリが、蔑ろにされているという感覚を抱かせないこと、の 2 点に尽きると思う。こうしたユーザー体験の獲得に失敗すれば、私みたいにプレコロナ時代から出続けている人間は「現地開催に戻るまで新ネタの公表は控えるか」と消極策に転じるものだし、学生は「発表せざるを得ないが、学会とはなんと虚しいものか」と失望するだろう。

動線について eDNA PopEco Meeting 2020 の場合、まず大会の公式サイト(googleページ)と、参加者用のポータルサイト(eDNA 学会の独自ドメイン)が分離していた。これは極めてわかりづらく、臨時にお知らせが出た場合などに、どちらのサイトに情報が集約されるのかが判然としなかった。そこまでヤバい個人情報や決済情報が入っているわけでもなし、ホストを 1 つに絞った上で、単に .htaccess 等で登録者向けページをパスワード保護すればよかったのではないか?

もう少し細かい動線を見ていこう。まず、ポータルサイトがオープンして最初に訪問すると、「Reset password」しろと出てくる。これが意味不明だった。「Set password」した覚えがないのに、なぜ「Reset」するのか?私は数分間悩んだ挙句、どうやら有無を言わさず(システム側が初期パスワードを持っている等の理由から) Reset すべきなのだろうと思い至ったが、どうもこの箇所でひっかかったユーザーが少なからずいたらしい。

また、大会長からのプライベートメッセージという形で、なぜか公開セッションの開始アナウンス等、全体へのお知らせが頻繁に飛んでくる。これも動線の不明瞭さの現れだ。ポータルサイトのトップページが機能し「トップに行く」→「次のイベントが何時から何時まで、どのURLでアクセスできるか分かる」→「イベントに入る」→「トップに戻って次のイベントを確認する」サイクルが出来上がれば、自然とタイムテーブルに沿って動くはずなのである。

講演

ポスター発表

ポスターの投稿ページは wordpress で作られており、発表者が自分でポスターごとにトピック(ブログのエントリみたいなやつ)を立てて、アブスト等の説明文とポスター画像(最大5枚)を貼る仕組み。編集画面の自由度が高いのは利点なのか、初見殺しだったのか。個人的には画像挿入のスロット5つと、説明文のタグ付きテキスト(italic と bold と href 程度のやつ)を固定レイアウトで並べる程度で割り切るほうが、(どうせ大抵の入力者は一期一会なのだから)余計な試行錯誤をせずに済んだと思う。

質問はポータルサイト上のトピックへのコメントや返信といった形で受け付ける。同時に Remo というオンライン会議室みたいなシステムでコアタイムを設け、ポスター発表者がブースで待機する。ブースを見つけて入った閲覧者は、テレビ会議やホワイトボードを使って質疑応答が出来る。しかし実際のところ大半の発表者には来客はなく、Remo で待機している間は、さながらペットショップのケージで売れ残った子犬の心境であった。これは普段のポスター会場コアタイムでも同様だから、今年に限ってあげつらう意図はない(ξ゚⊿゚)ξ べっ別に気にしてないんだからね)。

オンラインポスターを作ること自体、筆者も含めて今回初めての人が多かったと思う。いざ作ろうとして最初に考えたのは、閲覧者の PC 画面のサイズがわからない以上、頻繁に拡大したりスクロールしないと説明を追えないポスターは論外ということである。一方、一人で何分もポスター前に陣取って説明を読んでから質問しても、周りの迷惑にならない。そもそもコアタイムの概念が曖昧だから、説明文がある程度スタンドアロンに成立する必要がある。発表者からの補足説明は、少なくともリアルタイムでは得られないと考える。

上記の前提に立って発表のインパクトを最大化しようと試みると、一覧ページ(冒頭の1枚の画像しか見えない)では結論やそれに直結する図表のみを端的に掲載し、かつ説明文はちゃんと文章として記載することになる。一応個別トピックのページに遷移すると、5 ページまで画像を配置できる。しかし拡大せずに読めるフォントサイズとなると、5 ページ全部合わせても紙ポスターの A0 サイズよりは文量が減る。当然思いつくのが、全部見せる必要なくない?ということである。

幸い今回の発表ネタは、既にプレプリントという形でネット上に原文が上がっている(というより個体群に間に合うように、超特急で作業を進めて投稿した)。研究の背景、手法やデータの詳細はリンク先で読んでもらうことにした。読者のコメントや感想は今の所寄せられていないので、今回のポスター作成方針が吉と出たか凶と出たかは分からない。

プレナリーとポスターの格差解消

学会大会やセミナーがオンラインに移行して、しばしば言われるのが、プレナリーの口頭セッションは質問しやすくなった一方、ポスターは暖簾に腕押しでフィードバックが得られない、そもそも何人見に来たのかすらわからないという反応である。この情報格差は早急に解消される必要がある。

既に書いたように eDNA PopEco Meeting 2020 の口頭(プレナリー)セッションは、Zoom のチャット欄でフィードバックが行われ、一方ポスター発表は Remo で質疑が行われた。いずれも現時点で普及しているツールを活用した試みだったが、結果的には幾つかの問題が浮かび上がってきた。

口頭セッションは多くの質問が寄せられて盛り上がっていたが、 Zoom のチャットや Q and A は、視聴者がコメントを残すという点では最善でない。まずセッションが終了するとログが流れてしまうし、画面共有の開始や回線の一時中断といったタイミングでチャット欄が隠れてしまう。またウィンドウ設計の都合上、長いスレッドを読み書きするのに不便である。これにより、コメントが拾われないといった事故が発生していた。この点では、生態学会の関東地区会シンポ「生物多様性情報を使い倒す~GBIF入門~」で行われていたように、質問を書き込むページを Zoom から切り離して作るほうが視認性は高かったと思う。

一方、REMO の方は客が分散しすぎてほとんどフィードバックが無かったのが実情。まあ一般参加者同士でビデオチャットが出来る空間が他になかった以上、知り合いと駄弁る目的ではそれなりに使われていたのだが、ポスターに関する議論の場としては見通しが悪すぎた。

じゃあどうするべきだったか。参加者同士の書き込みによるコミュニケーションが可能な単一のサイトを、ポータルサイトの下部ディレクトリ、もしくはコンパニオンサイトとして用意し、トピック別のスレッドという形でレスポンスを集めるのが最適だったと思う。いわゆるネット掲示板である。たとえば 5ch (2ch)の方式に倣うならば、個体群生態学会という枠が「板」で、「ポスター xx 番について」とか「第2夜のセッション xx への質問・コメント」とか、あるいは「【これは】大会運営システムへの不満をぶちまけるスレ【ひどい】」等が個別のスレッドに相当する。

5ch だと1つの板におよそ、過疎板で 50、 多くて 500 ないし 1000 程度のスレッドが並立している。個体群・環境DNA合同大会だと、プレナリーとポスター講演と夜間企画、さらに大会運営上のトラブルシューティングや要望受付といった潜在的な需要をあわせて、おそらく 150 スレッドといったところ。私の提案の核は、これらのスレッドを「階層化せずに」 大会板の直下のスレッド一覧として、フラットに配置することである。ナイーブなシステム設計者はおそらく「プレナリー」「ポスター」「大会運営」くらいのサブカテゴリを作り込んでしまうだろうが、サブカテゴリの存在が諸悪の根源となる。

現代的なネット掲示板のスレッド一覧表示は、新規書き込み順や名称順、スレッド作成順といった、複数のソートパターンを予め提供する。なので利用者は、たとえばポスターの感想を PP001 から順に並べることも出来るし、最終書き込み順にソートして最新の書き込みを見つけることもできる。またブラウザで Ctrl + F を押して出てくるページ内検索で、自分が見たいトピックを見つけることも可能だ。ページが複数の階層に分かれていると、これが出来ない。

懇親会

Zoom で実施された。正確には、主催者から委嘱されたメンバーによる、大まかに話題を絞ってのパネルディスカッションのようなものだった。表向き、視聴者側もマイクとカメラをオンにしてよいとの話だったが、実際にそのようなケースは1,2例しか生じなかった。これは、システム設計やUIの問題、ネット回線の技術的問題、運営方針の問題、パネル側の意識の問題といった、複数の要因が絡んだ結果と見ている。

おそらく最大の問題はパネルが 3-4 人いて、しかもお互いに顔見知りかつ同属性(研究分野・年齢・性別・所属機関)な点だろう。これだとパネル同士での親密な会話が途切れなく繋がってしまい、天上人のクローズドな集まりを民草が有難がって聞いているという構図になりがちである。

「1 or 2名の司会(これも、なるべく多様なバックグラウンドを代表させるよう選ぶ)」 対 「視聴者のレスポンス」 という構図にして、スタジオ内の内輪ノリを自然に回避できるよう設計すべきだった。

一方、視聴者が気軽に乱入しづらい技術理由の1つに、ネット回線がそもそも大容量のリアルタイムアップロードに対応していないことも挙げられる。特にモバイル回線だと夕方から夜にかけて、ダウンロードもさることながら、アップロードが極めて遅くなる。これを回避するには、テキストによる乱入を行いやすいシステムが必要である。

また、初期のネットシンポや遠隔授業等で、一般参加者や学生同士のチャットによる会話を禁止する方向へ舵を切ってしまったため、視聴者がチャットで気軽な意見表明をすることにためらいを感じてしまったのは事実であろう。

システム設計

単一のテレビ会議システムでは、個別の講演会には対応できても、複数の講演企画や展示企画を一定のタイムスケジュールに沿って統合し、参加者の動線を管理するという目的をまかないきれない。この点では、大会サイトの構造はむしろグループウェアに近いのかもしれない。参加者のマイページ、掲示板、主催者からの通知、文書フォルダ、指定した者へのメール送信や回覧といった機能がある。

ただし、情報伝達のリアルタイム性や大人数のビデオ会話といった点では、グループウェアはそこまで百家争鳴なトラフィックを想定していないだろう。たとえばクラウドサービスで、数百組のビデオ会話を同時に捌けるほどにスケール可能なものがあるか?それに契約上も、グループウェアは数年単位の使用を想定しているだろうから、数百人単位の情報システムを短期間に作っては壊すオンライン学会の流儀に合っているかは謎である。まあ○○ボウズや○○通が、自社の商材を改造してイベント向けパッケージを開発する可能性はある。

妄想

オンライン大会で複数のイベントが並列進行するのは、一般講演の発表者からすると、あまりにフィードバックが得られなさすぎる。正直なところ、開催期間を2週間とか1ヶ月とか、すごく長めに設定しておいて、かつ全発表をプレナリーにした上で、12分×5人ずつなどに区切ったセッションを毎日少しずつ流す形式もありではないかと思った。1日のうちでもタイムスロットを昼の部 13:00--14:00, 夕方の部 18:00--19:00, 夜の部 21:00--22:00 などと設定しておき、参加者は早いもの勝ちで、自分や家族の生活リズムや、自宅の回線速度に応じて最適な講演スロットを申し込む。他の発表希望者が直前まで手を挙げなければ、1回目のスロットとは別の時間帯に、同じ内容の再発表を申し込むことも可とする。テレビ会議システムのホスト操作や座長は、学会側が作成したマニュアルに従いセッションの講演者が務める。

この場合、大会全体がオンラインセミナーの集合体となるし、個々のセッションはプログラマー界隈が毎年年末になるとやっている、アドヴェントカレンダーの雰囲気に近くなると思う。あれはあれで(リアルイベントの最大瞬間風速とは別の、持続的な意味で)盛り上がるものだし、参加者が皆平等であるとの意識が高まる。

個人的にはオンラインセミナーの集合体という形は、学会の行事としてそれなりの必要性があると思っている。というのも岡山やつくばや瀬田や東京でやっているような、伝統ある生態学のラボが従来からホストしているセミナーは、コロナ下で比較的容易にオンライン化した。一方、そのようなブランド力のない小規模ラボや個人の情報発信がほぼ完全に遮断され、ビッグラボ+類縁者の露出ばかりが益々増えるという好ましくない状況が生まれたからである。学会という比較的中立かつ(個々のラボよりは)ビジネスライクな組織が事務手続きを行い、全ての講演者に等しくスポットライトを当てることで、情報発信力の格差を是正する必要があると考える。

実際の運用面からも、特に繋がりのない講演者が続いたスロットは一般講演になるし、複数人で結託して申し込めば、シンポや小集会といった枠組みを内包することも出来る。たとえば送信機材を持っていない学生のために、教員が研究室単位でスロットを取って発表会形式にしてもいいのである。モバイル通信環境に自信があれば、エクスカーションと称してフィールドを歩きながら解説してもいい(熟練のフィールドワーカーに実際の山や海から中継してもらうセミナーは、学会の枠組みとは別に興味がある)。

蛇足

2020年12月7日に、個体群生態学会の将来に関するアンケートの依頼が来ていた。そちらに回答した提案内容について、個人的にも是非を問うてみたいので掲載しておく。

設問6.年次大会やPopulation Ecology誌について、日本生態学会や種生物学会などとの差別化を図るための具体的なアイデアがあればお書きください。

(回答)

現時点で日本人が英米の研究者に勝てない要素の一つが、非母語で文献をレビューし、論文を書き、査読を受けねば、そもそも国際的な情報発信のスタートラインに立てず、ゆえにスループットで圧倒的に劣っていることです。

さらに農林水産関連の研究者は、自身のキャリアのために英語論文を出しつつ、技術普及のために和文でも原著を書く必要があり、ゆえに Population Ecology 等の英文誌へ頻繁に投稿しづらい経緯があります。たとえ別言語であっても、同じ内容の2本目を出すと重複投稿になってしまうためです。

これらの格差を解消するために、Population Ecology のマルチリンガル雑誌化を提案します。すなわち論文誌そのものを多言語化して、査読言語(母語)である正本と、翻訳版(英語)である副本を一緒に公式ウェブサイト上で公開します。

各国の著者は、自分の書きやすい言語(注1)で速やかに原稿を書いて投稿し、受理されてから(あるいは正本の出版後でも)じっくり翻訳に取り組みます。既に公開情報なので、予算さえあれば第三者に業務委託することもできます(ポスドクや博士学生への授産にもなる)。 しかも翻訳前後の文面が両方公開されますから、訳文に疑義があっても検証可能です。バージョン管理の概念を導入すれば、後から訳の完成度を高める(注2)こともできます。勿論あくまでオプションとし、副本を出さないのも自由です。

ご存知の通りアブストラクトについては多言語化された例は幾つもあり、たとえば昔からカナダのジャーナルでは英語+フランス語の要旨を付けることは一般的です。和文誌に英文要旨を付けるのもこの流れの一環だといえます。これを本文に拡大できないかというわけです。雑誌が紙媒体(注2)であり、かつまともな機械翻訳が存在しなかった時代であれば一笑に付されたでしょうが、コストが劇的に下がりつつある今が実現のチャンスです。

注1:これでも、最低限の査読者プールが確保されている言語でなければならないという制約は残るが、オープンレビューなどの体制に移行すれば解決可能かもしれない。この場合 Population Ecology あるいは Ecological Research が、日本語プレプリントのプラットフォームを作る(あるいは現在議論されている日本版 AAAS にホストする)。

注2:本誌の印刷版が残るとしても、わざわざ翻訳版の方を印刷する必要はないだろう。